「とりよう」と「ありよう」

自分に起きる出来事・物事。

 

それを受け取る自分の考え「受け取り様」次第で、それは「襲い掛かってきた」のか、あるいは「舞い降りてきた」のかが変わります。

 

ありようとは「有り様」あるいは「在り様」と書き、そのときの状態や様子を示します。ありのままの姿。

 

その出来事をマイナスとして捉えるのか、マイナスとしてしか捉えられないのか、はたまた、マイナスはマイナスだけれども、教訓を得たし勉強したから結局はプラスじゃん。として捉えられるかで、人生の楽しみ方・在り様は、まったくと言って良いほど変わってくると思うのです。

 

 

結局はプラスじゃん(理想の境地)

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マイナスとして捉える

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マイナスとしてしか捉えられない

 

もうこれは誰が見ても絶対的なピンチじゃん、窮地じゃん、悲しみじゃん、不幸じゃん、地獄じゃん。という不幸の絶対値というものは悲しいかな存在するわけですが、いつまでもそんな境地では復活できないわけで。負けているのに「いや、負けてない」なんていうのもまた違うわけで。負けているという事実はしっかりと受け止めて(正しい現状認識)から人は出発しなければいけない。

 

絶対的不幸から徐々に“相対的不幸”へと考えをシフトさせ、傷を癒し、寝そべって泣いていた地面から起き上がり、立ち上がり、歩き始めなければいけない。

 

転ばぬ先の杖も大切ですが、転んでもただでは起きない強い気持ち、「不撓不屈」(意味:強い意志をもって、どんな苦労や困難にもくじけないさま)の精神のほうが、もっと大切だと思うわけで。

 

あの人はタフだね、と言われるような「とりよう」と「ありよう」で、生きて生きたいと願うたくようなのでります。